プロジェクト学習を終えて
秋葉原での成果発表会が終わり,少なくとも私の所属したプロジェクトの班は活動を終えた.そこでこの1年間のプロジェクトについて,私なりの振り返りをしたいと思う.
4月,学部3年生は自分の所属するプロジェクト決めを始めた.ソースはTwitterや先輩方の経験談など.あのプロジェクトはブラックだとか,このプロジェクトはホワイトとか,判断基準は就職と同じようなものだった.明確に違うのは報酬が一定なこと(どんなに頑張っても貰える単位数は一緒)くらい.
幾つかのプロジェクトの説明を受け,すうぃふとプロジェクトを志望した.「地域課題をITで解決する」というテーマで,そんな体験をしてみたいと漠然と考えていた.そこ以外行きたい所が無かったので,そこしか面接を受けなかった.で,受かった.
なお”すうぃふと”はアマツバメのことで,プログラミング言語のことではない.アマツバメは高速で飛ぶのでアジャイル開発を行うプロジェクトにぴったり,ということらしい.
5月,プロジェクトに所属し,活動を開始した.
すうぃふとプロジェクトでは,
- I地域の観光を支えるプロダクトを作る,I班
- J町会のアプリを作る,J班
- 認知症に関連したアプリを作る,医療班
上記3つの班に分かれて1年間それぞれの活動を行う.私は3つ目の医療班に所属した.他2つは自治体がクライアントになっていて,前年度はそれで先輩方が苦労したと聞いたからだ(詳しくは言うまい).
医療班では,全員が認知症に関する書籍を読み,週2回集まって知識を共有し合う,ということを1ヵ月ほど続けた.
6月,今まで仕入れた知識を基に,現状の問題点を解決できるようなプロダクトの案をまとめ始めた.メンバー1人に1つの案を担当し,互いに評価し合い,先生方に発表を行い,それぞれをより良いものにしていった.
函館で定期的に開かれている「もの忘れカフェ」に参加して,アイデアの評価をしてもらったり,意見を伺ったりした.
そしてその中から1つの案に絞って,ようやく開発をスタート...!となるはずだった...
7月,いずれの案もあまり先生受けがしなかった.自分達も自分達の案に納得できていなかった.先生の助けによりパラダイムの転換が起きて,今までに無かった案が出てきた.というのも,今までは認知症になった患者さんの介護のための案を考えていたが,これを認知症の前段階まで遡って考えてはどうかと指摘を受けた.そこで以前まで考えていたライフログの考えも踏まえて,日々の食事の記録を基に食事の偏りを正し,生活習慣を直すというものになった.認知症には直接結びつくものではないが,認知症を直接予防できる方法は見つかっていないので,しょうがない(と今は考えている).
8月,9月,夏季休暇.皆インターンに参加するなどして,プロジェクト学習にかける時間はほとんど無かった.
10月,活動を再開した.仕様を詰めた.開発を開始した.
夏季インターンで学んだことの一つ「作業前に見積もりを付ける」を積極的に行った.ZenHubの機能を使って,スプリントを回した.
開発できる期間は残り3ヵ月も無いので,学習に時間は割けなかった.PHPやPythonやらを使ったウェブアプリ開発の経験のある人間は私しか居なかったので,私一人がサーバ側の開発を行うこととなった.RaspberryPiを使ったカメラの開発は,もう一人のできる人間に任せた.
来る日も来る日も完成だけを考えて実装を行った.
プロジェクト学習のある日以外は大学に行かず,ひたすら家に籠もって実装を行った.
普段絡んでいる友人たちと会うことがなくなり,心配されて慰安会が開かれたことがあった.その説は本当に迷惑をかけて申し訳ないと思っている.
そして12月,最終成果発表会が行われた.なんとか動くものが作れたので,それを展示した.良い点も悪い点も指摘された.
1月,成果発表会の批評も踏まえた最終報告書を作成した.ここで初めてメンバー全員がGitHubのプルリクエストを使って,自分の担当した箇所を互いに評価し合うなどして最終報告書をマシにしていった.そして提出を終え,1年間のプロジェクトは一旦幕を閉じた.
2月,毎年恒例らしい秋葉原の成果発表会に成果物を持って行き,発表を行った.プロジェクトの大まかな話をして質問を受ける,ここが良い/ダメだ,その繰り返し.その度に,プロダクトの不完全さに改めて気付かされる.毎日食事を撮影する手間を如何に減らすかできてないとか,続けたくなる要素が無いとか,そもそも栄養価が正確なものじゃないとか...
こうして1年間のプロジェクト学習を終えた.なんだか切りの悪い終わり方のように見えるが,成果物としてのプロダクトは動くものが出来ているし,何よりプロジェクト学習は最終報告書を出した時点で終了する.
終わった今となっては,開発期間をもっと有意義に使えたのではないかと思う.基盤作りに必死になり,全体が見えていなかった.というのもスクラム開発であるはずなのに,メンバーの意見を反映するということができていなかった.もっと余裕があったら...と思う.
あとはタスクの偏りが顕著だった.ポスターは誰,カメラの開発は誰,サーバ側の開発は誰,とまるで一人が担当するもののように仕事が自ずと割り振られていた.それぞれのタスクは全員のものとして,困っている時は全員で協力し合い解決する,ということができていなかった.反省はこのくらいにしておく.
これが私の経験したプロジェクト学習.次にこのような経験ができるのは社会人になってからかもしれない.その時には,今回の反省を活かしたい.
最後に学部3年に上がる諸君,すうぃふとプロジェクトは大変だが,技術でも開発の進め方でも多くを学べるぞ.すうぃふとプロジェクト医療班にはRuby・Pythonを使ったサーバ側の実装,CIを使ったテスト,LaTeXの自動校正とかの遺産があるので,興味があれば来てほしい.